ゆかりごはんの縁結び -読書記録-

とにかく面白い小説が読みたい…!

『我々は、みな孤独である』貴志祐介:もはや哲学書の領域

 

『我々は、みな孤独である』

著者 :貴志祐介

出版社:角川春樹事務所

ページ:416

満足度:★★★★★★★☆☆☆

 

 

 

どうあがいても傑作しか書けないと僕の中で神格化されている著者・貴志祐介による、2020年に出版された長編小説『我々は、みな孤独である』。当時、貴志作品としては7年ぶりの長編小説であったらしく、貴志祐介ファンにとっては待望の新作であったことは容易に想像できる。

 

ちなみに、私は中学一年生の頃に学校の図書館の図書委員推薦図書コーナーに置かれていた『悪の教典』を読んで以来、貴志祐介の大ファンである。ちなみに、『悪の教典』は先生が生徒全員を皆殺しにするサイコパスミステリー作品だ。そんなもん中学生に推薦するな。とんでもなくイカれた学校である。

だが、今作が出版された頃は読書自体あまりできないような状況だった。そのため、今更ながら今作を読んだのだが、非常に興味深い一冊だったため、ほぼネタバレ無しで感想を記そうと思う。

 

今作は、オカルト/サスペンス/グロ/サイコパス/ユーモアなど、貴志祐介のありとあらゆる要素が濃縮されている非常に濃い一冊となっている。特に、後半は貴志祐介の死生観や思想がてんこもりで、もはや哲学書の域に達している。それでも、圧倒的なリーダビリティで読者を巻き込んでいく力は今作でも健在で、僕自身、没頭して一日で読み終わってしまった。

 

以下、あらすじ

探偵・茶畑徹朗(ちゃばたけ・てつろう)の元にもたらされた、
「前世で自分を殺した犯人を捜してほしい」という不可思議な依頼。
前世など存在しないと考える茶畑と助手の毬子だったが、
調査を進めるにつれ、次第に自分たちの前世が鮮明な記憶として蘇るようになる。
果たして犯人の正体を暴くことはできるのか? 誰もが抱える人生の孤独――死よりも恐ろしいものは何ですか。
鬼才がいま描く、死生観とは。著者7年ぶり熱望の傑作長篇。

我々は、みな孤独である | 貴志祐介 |本 | 通販 | Amazon

 

 

感想

小さな探偵事務所を経営する主人公・茶畑徹朗が、お得意様である依頼人から「私の前世を殺した人間を探してほしい」と頼まれるところから始まる本作。報酬は一千万円。もうすでにめちゃくちゃ面白い。

財政苦を理由に依頼を引き受けた主人公は、助手・桑田鞠子と共に真相を突き止めるべく調査に乗り出すが、次から次へと謎が湧き出てくる。前の謎が解決しないまま、次々と新たな謎が出るわ出るわ。もはや何がなんだかわからなくなってくる。

 

それに加え、主人公の同級生であるサイコパスヤクザ・丹野や、前世が占えるという怪しい霊能者、さらにはメキシコマフィアまでが話の大筋に絡みだしてくる。こうなってくると、もうページを捲る手が止まらない。徹夜確定である。エンタメ力が高すぎるがゆえに、はっきり言ってやめ時がわからなくなる。

 

物語の終盤は、それはそれはもう壮大である。この記事のタイトルにもなっているが、もはや貴志祐介哲学書といっても過言ではない。「輪廻転生」という概念に対する貴志祐介なりの解釈を、これでもかと浴びせられる。心が弱っている時に今作を読んでしまうと、ワンチャン貴志教信者になりかねないレベルである。いやぁ、とんでもない作品だ、これは。

 

 

ちなみに、この作品はレビューサイトを見るに賛否両論となっている。しかも、どちらかと言えば否の方が多く見受けられる気がする。うん、まぁ分からなくもない。正直、一般受けはしないだろうし(そもそも結構グロ描写が多い)、僕自身もリアルではこの本を他人に薦めたことは一度もない。ヤバい奴だとは思われたくないからだ。それでも、今作は貴志祐介の集大成ともいえる傑作であることは間違いないので、興味がある人は読んでみてほしい。